mappppyの日記✏︎

長野県の東の方在住 日々の記録や思ったことを書きます 自分の好きを詰め込んだブログにしたい!

モノと向き合う。

今身の回りにある持ち物で「壊れてもまた使いたい!」と思えるものは

どれくらいあるのだろうか?

私は全捨離を経て、ものを減らすことができた。

(全捨離の内容を全く書いておらず、すみません^^;)

普段持ち運ぶものも厳選し、

持ち物もコンパクトにしてミニマルな生活にシフトをした。

憧れのシンプルライフに徐々に近づいている。

 

しかし、なんだろう。

このしっくりこない感じ......

 

例えばお財布。

ほとんどキャッシュレスなので、手のひらにすっぽり収まるくらいの

コインケースをお財布代わりにし、お財布を持つのをやめてみた。

コインケースはお気に入りの革ブランドで、ずっと欲しかったモデルに新調。

使うたびテンションが上がり、買ってよかったと心の底から思っている。

しかし、実際使っていると、お札を折らなければいけないことへの抵抗が出てきて、

長財布の方がいいのかな?とか二折札入れを使うのはどうだろう?と

次々と他のものを試したくなってきた。

 

他にも鞄だったらサイズ感と鞄の種別(ショルダーバッグ、トートバッグなど)、

収納ポケットの数などの兼ね合いでベストなのものが見つけられず、

様々なものに目移りをしてしまう。

 

ものを減らしたい気持ちと、日々の快適さを求めてものを買い替えたい気持ち、

矛盾した気持ちが私の中で同居している。

もやもやするのはそのためか?

このように述べているが、そもそも私がモノのポテンシャルを

活かしきれていないだけなのかもしれない。

「何をを所有し、どのように使い続けるか」

私はこの問いに答えを出せるまでに、どれくらいのものを消費するのだろうか。

ものすごい数になりそうで、気が滅入りそうだ......

我慢するのはいいことですか?苦痛に慣れないために必要なこと。

自分の学生時代を振り返って、思うことがある。

それは「部活をやらなければよかった」ということだ。

正確にいえば、好きでもないことを無理に続けなければよかった。

部活が大嫌いであったが、頑張って引退まで続けたことで、

私は我慢や苦痛に慣れてしまい、それが現在の生きづらさにつながっている。

 

私は中学・高校とバレーボール部に所属していた。

正直言って上手い方ではなかったが、中高ともに3年間毎日部活に励んでいた。

初心者で入部をしたのだが、負けず嫌いの性格から、

同級生の初心者の中で1番に上手くなるために、

部活だけではなく、家で練習したりと熱心に取り組んでいた。

また、当時の顧問の先生をとても尊敬していたので、

先生のためにも上手くなるぞと意気込み、新人戦ではレギュラーを勝ち取ることができた。

 

月日がたち、顧問の先生が転任され、

新しい顧問の先生がきた。

この先生がとても怖い人であった。

暴言を吐き、怒る時はボールやものを投げつける先生であった。

少しバレーボールへの意欲が薄れていたのと、

この先生への恐怖から部活が嫌いになった。

人格を否定されるようなことも言われたため、

「私って不必要な人間なのでは?」と自己肯定感も低くなった。

それでも辞めるという選択肢はなく、3年間続けた。

 

高校生になって私は心機一転、新しいことを始める気満々でいた。

しかし中学時代の先輩の誘いなどもあって、またバレーボール部に入部してしまったのだ。

これが地獄だった。

もうすでにバレーボールへのやる気は無い上に、顧問の先生は中学時代を上回る怖さ。

たくさん怒られ、たくさんコートを追い出され、たくさん無視をされた。

人格否定は日常茶飯事。

これによって私の自己肯定感は地へと落ちた。

本当に毎日部活が嫌で仕方がなかったし、

部活が好きだという人が不思議でしょうがなかった。

それでも「途中で辞めることはいけないこと」という概念に縛られ、

辞めることはできなかった。

 

 

好きでもないこと、嫌いなことを計6年間続けた。

私の学生生活の記憶はグレーのような薄暗い色で、

楽しかったという記憶がほとんどない。

忍耐力は養うことができたけど、我慢や苦痛に慣れてしまった。

我慢や苦痛に疑問を持つことができなくなってしまったのだ。

長年の思考はなかなか変えられない。

それゆえ今現在も何か辛いことや苦痛があっても

耐えるという選択をしてしまう。

社会に出たらある程度の忍耐力は必要だ。

しかし、我慢をしないことも長い人生の中では必要なスキルであると思う。

忍耐が大事と言われることは多いけど、

幸せな人生を送るために、私は我慢をしないことも大事だと思う。

もしあの時の私にアドバイスができるのであれば、私はこう伝えたい。

継続をできることはとても素晴らしいことだけど、

嫌なこと、苦痛だと思うことは辞めて欲しい。

そして、自分が楽しいと思えること、やりたいと思えることを見つけて欲しい。

きっとそれが、自分らしく楽しいと思える人生を送るのに

とても必要なことだと思うから。

全捨離とは。使わないものを徹底的に捨ててみた

断捨離ではなく、全捨離。

言葉の通り、持ち物のほとんどを捨てる。

捨てる基準は「使っているか、使っていないか」

人間は自分の持ち物のうち実際に使用しているのは2割である。

それゆえ、8割は不用品であるから、それらを手放すことで

己の執着心からも解放され、人生が好転する

という考えである。

 

初めてこの言葉を知った時、

「これだ!」と思った。

今まで、少なくとも半年に1回は断捨離を行なっていたため、

ものはあまり所有していない方であった。

しかし、何かまだすっきりしないと日頃から思っていた。

これを機に徹底的にものを減らそうと気合を入れ取り掛かった。

 

まずはゴミ袋を用意。

ただ何も考えず、使っていないものをゴミ袋へ詰め込んでいく。

これがなかなか難しい。

捨てる作業をしていると、

・今は使用してないが今後使うのでは?

・これは思い出があるからな

などと感情や思考が邪魔をし、思ったほど処分が進まない。

そんな時は基本に立ち返り、

「今使っているのか」ということだけを基準に

愚直に選別をしていく。

 

面白いくらいに不用品が出てくるので、

一種のハイのような気持ちになり、

「これだけは絶対に捨てられない」

と思っていたものも捨ててしまえ!という気持ちになった。

「どんな大切なものも天国には持っていけない」

とよくいうけど、その言葉がすっと腑に落ちる感覚があった。

まだ全てが終わっていないので、

また次回に終わっての感想を述べたいと思う。

早く続きに取り掛かりたい!

人はなぜ働くのか?真剣に考えた就職活動

私が新卒採用の就活生だった頃、

1つの企業から、ある質問をされた。

 

 「もし毎月無制限にお金をもらえるとしたら、あなたは何をしたいですか?」

 もし、あなたが同じ質問をされたら、なんと答えるだろうか?

 

質問の意図としては心から「働きたい」と思っているか

それを確かめるための質問だったのだろうと思う。

 

当時の私はバカ正直に「旅行に行きたい!」と答えた。

もちろん、人事の方は予想外の私の答えに苦笑いをして、

・なぜあなたは働くのか?

・その中でなぜこの会社で働きたいのか?

もう一度考え直した方がいいですね。

とおっしゃった。

 

第一候補の会社だったこともあり、

私はどうしたらいいのか分からず、その場で号泣した。

(その節はご迷惑をおかけいたしました...)

それから1週間くらい、私は必死に働く理由について考えた。

 

「生きていくにはお金が必要だから」

最初はそれしか考えがなかった。

でも、「働くこと」について調べていくうちに、

・働かずして生きている人

・組織に属さずお金を稼いでいる人

・好きなことを仕事にしている人

様々な生き方をしている人がいることを知った。

もともと漠然と「自分の力でお金を稼ぐこと」に興味があり、

ゆくゆくは自分の力で稼ぎながら、

農作業をして、緩やかに生きていきたいと思っていた。

「働く意味」について考えたことで、

こんなにも会社に属さずお金を稼ぐ方法があることを知ることができた。

それまでなんとなく、悶々とした気分で就職活動をしていたけど、

自分の将来なりたい姿がはっきりと明確になり、

視界が開けていくような、すっきりとした気持ちになった。

 

結果としては、

・どうしても入りたい会社である

・この会社でなら、自分で稼ぐための修行ができそう

という理由から、先ほどの質問をした第一候補の会社に入社した。

(正直言うと組織に属さず稼いでいく能力も勇気もなかった。)

 

現在はこの会社を退社しているし、

最終的に胸を張って「自分の力で稼ぐ能力を取得できた」とは言えない。

しかし、あの時一度立ち止まって「働く理由」について考えたあの時間は

私の人生でとても重要な時間であったと思う。

 

そんなこと考えなくても働くことはできるし、

明確な答えがない分、とても苦しくて辛い作業ではある。

しかし、一度考えてみて欲しい。

なぜなら、世の中にはたくさんの選択肢があって、

自分が進もうと思っている道は、ごく一部の選択肢であることに気づくことができるし、

それを知ることで、自分自身を救うことにつながるからだ。

あの時想い描いた、理想の人生を歩めるように、

今私は少しずつではあるが、準備を進めている。

これから先、生きていくのが楽しみである。

 

仕事人間になりたかった

「仕事が楽しい!」といっている人って日本にどれくらいいるのだろうか?

社会人になって5年くらい経つけど、

できることなら働きたくない...

遊んで暮らしたい...

と思うことばかりだ。

こういった方々と私は何が違うんだろう?

社会人になってからずっと考えている。

 

私も大学生時代は「仕事人間」になることに憧れ、

就職先も安定ではなく中小企業でブラックと言われるような会社に入った。

当時から自分の手でお金を稼ぐと言うことに憧れがあり、

この会社なら修行ができそう!と思ったため、

大手の会社の内定を断ってその会社にいった。

 

働いてみて分かったことは、

・私は働くのがあまり好きではないこと。

・金銭的余裕より、時間的な余裕がある方が幸せを感じること。

だった。絶望的だ。

 

残念ながら私は仕事人間にはなれないようだ。

今は頑張って会社員を続けているけど、きっとまた断念することになるだろう。

仕事の何が嫌なのか、自分自身でしっかり見極め、

自分のキャリアを考えなくては。

(そう言えば中学生ぐらいから、自営で収入を得て、合間に農作業をする暮らしに憧れていたなぁ。)

 

何はともあれ、世の中の働いている人、働こうとしている人、

本当に尊敬です...

 

 

 

 

逆引き寄せの法則?

今日は仕事でどうしても嫌な業務の担当日で、

本当に嫌で、嫌で嫌でしょうがなかった。

朝起きた時も、出勤の車の中も「嫌だ!」と叫んでいた。

(危ない人ですね。)

 

いざその業務の時間になり、

やるしかないか、と観念し取り掛かろうとすると、

今日はそれを利用する人がおらず、

やらなくて良くなった。

こんなことは初めてで、

しかもこの業務は来月から別部署に引き継ぐことに決まったため、

今日が最後の担当日であった。

最後にして初めて。

心の中でガッツポーズした。

 

心から本気でやりたくないと叫んだから、

神様が取り計らってくれたのであろうか。

すごくネガティブなお願いだけど、

叶えてくださって、ありがとうございます。

(といっていいのかな?笑)

他の仕事は頑張りますので、どうかお許しください...

 

「やりたくないこと」ばかり増えていく

ここ半年ほど仕事が繁忙期で毎日突っ走っていたけど、

最近は次の日の仕事のことを考えると

「やりたくないな」とか「仕事辞めたい」とか

そういった気持ちになることが増えた。

 

 

仕事内容自体は別に嫌いではないし、

特別大変なことをしている訳でない。

周りの人間関係もとてもいいし、給料だって悪くない。

前職からすれば、とても恵まれている環境だと思う。

では、なぜ私はこんなにも気持ちが重いのだろうか。

 

 

きっと「小さな我慢」の積み重ねが、

私をこういった気持ちにさせているのだろう。

私は昔から割と我慢強い方であった。

習い事や部活が嫌いだったけど、

辞めようと思ったことは一度もなかった。

「何事も最後までやりぬく」

それが素晴らしいことだと信じていたし、

忍耐力のある自分を誇りに思っていた。

 

 

でも大人になると自分で区切りを決めない限り、我慢が一生続く。

もちろん社会の中で生きるには我慢が必要な場面もある。

しかし、嫌なことをただ我慢をしているだけでは消耗するだけだ。

必要なのはただ我慢することではなく、

何が嫌なのかを明確にし、他に取れる行動はないのか考えることだ。

 

 

嫌なことは嫌という。

全てを完璧にやろうとせず、たまにはサボってみる。

様々な選択肢があって、どれを選ぶこともできる。

社会に出ていろんな人に出会い、それに気づくことができた。

約20年以上「我慢はスバラシイ」と信じてきたから、

なかなかその思考パターンは抜け出せないけど、

少しずつ「我慢」以外の選択を選べるようになって、

自分自身を毎日ご機嫌にしてあげられるようになりたいな。