我慢するのはいいことですか?苦痛に慣れないために必要なこと。
自分の学生時代を振り返って、思うことがある。
それは「部活をやらなければよかった」ということだ。
正確にいえば、好きでもないことを無理に続けなければよかった。
部活が大嫌いであったが、頑張って引退まで続けたことで、
私は我慢や苦痛に慣れてしまい、それが現在の生きづらさにつながっている。
私は中学・高校とバレーボール部に所属していた。
正直言って上手い方ではなかったが、中高ともに3年間毎日部活に励んでいた。
初心者で入部をしたのだが、負けず嫌いの性格から、
同級生の初心者の中で1番に上手くなるために、
部活だけではなく、家で練習したりと熱心に取り組んでいた。
また、当時の顧問の先生をとても尊敬していたので、
先生のためにも上手くなるぞと意気込み、新人戦ではレギュラーを勝ち取ることができた。
月日がたち、顧問の先生が転任され、
新しい顧問の先生がきた。
この先生がとても怖い人であった。
暴言を吐き、怒る時はボールやものを投げつける先生であった。
少しバレーボールへの意欲が薄れていたのと、
この先生への恐怖から部活が嫌いになった。
人格を否定されるようなことも言われたため、
「私って不必要な人間なのでは?」と自己肯定感も低くなった。
それでも辞めるという選択肢はなく、3年間続けた。
高校生になって私は心機一転、新しいことを始める気満々でいた。
しかし中学時代の先輩の誘いなどもあって、またバレーボール部に入部してしまったのだ。
これが地獄だった。
もうすでにバレーボールへのやる気は無い上に、顧問の先生は中学時代を上回る怖さ。
たくさん怒られ、たくさんコートを追い出され、たくさん無視をされた。
人格否定は日常茶飯事。
これによって私の自己肯定感は地へと落ちた。
本当に毎日部活が嫌で仕方がなかったし、
部活が好きだという人が不思議でしょうがなかった。
それでも「途中で辞めることはいけないこと」という概念に縛られ、
辞めることはできなかった。
好きでもないこと、嫌いなことを計6年間続けた。
私の学生生活の記憶はグレーのような薄暗い色で、
楽しかったという記憶がほとんどない。
忍耐力は養うことができたけど、我慢や苦痛に慣れてしまった。
我慢や苦痛に疑問を持つことができなくなってしまったのだ。
長年の思考はなかなか変えられない。
それゆえ今現在も何か辛いことや苦痛があっても
耐えるという選択をしてしまう。
社会に出たらある程度の忍耐力は必要だ。
しかし、我慢をしないことも長い人生の中では必要なスキルであると思う。
忍耐が大事と言われることは多いけど、
幸せな人生を送るために、私は我慢をしないことも大事だと思う。
もしあの時の私にアドバイスができるのであれば、私はこう伝えたい。
継続をできることはとても素晴らしいことだけど、
嫌なこと、苦痛だと思うことは辞めて欲しい。
そして、自分が楽しいと思えること、やりたいと思えることを見つけて欲しい。
きっとそれが、自分らしく楽しいと思える人生を送るのに
とても必要なことだと思うから。